今回内観することになり、まずは母親に対する三つの事を年代順に調べました。始めのうちは、なかなか相手の立場に立って思い出すことができず、苦しみました。
お世話になったことは調べられても、して返したことについて、始めのうち自分が間違った解釈をしていたことに気付いた時は、とても恥ずかしい気持ちになりました。
母親について三回目の内観をした時に、今現在の自分がここに居ることができるのは、全て母親に支えてもらったからこそ可能なことであることに気付きました。
私が生まれてから当たり前のようにしてきたこと、朝起きてご飯を食べて、洋服、制服に着替えて、弁当を持って、カバンに教科書などを入れて学校へ行き、勉強して、部活をして、帰って晩ご飯を食べて、温かい風呂に入って、布団で寝るという、何年も続けてきたこの生活は、母親がいたからこそ出来たことであり、それを普通に何も感謝することなく過ごしてきた自分に改めて気付くことができました。
そのことに気付いた瞬間、あの頃に戻れるのならば戻って、当たり前のように過ごしている自分に、その時点で母親あっての私が存在できることを話したいと、強く思いました。
とても恥ずかしい気持ちと、情けない気持ちとで、泣く事しかできませんでした。また、当たり前のように平気な顔をして過ごす私に対して、母親はどのように思っていただろうと思いました。
今現在、私が健康に過ごせているのも、母親が一生懸命に働き、愛情を持って接し、育ててきてくれたからであることに気付け、本当に良かったと思います。
今すぐにでも母親の元へ帰り、「育てていただき、本当にありがとうございます。」と心から言いたいです。これからは、この感謝の気持ちを忘れずに、今までしてきてもらった以上に、母親にして返していきたいです。
次に、私の中で変化できたのは、父親に対してです。幼い頃に両親が離婚し、断片的な思いでしかなかった父親に対して内観してみたいと思ったのは、最後の日でした。本当はするつもりはなかったのですが、何かに気付くことができるのではと思ったことがきっかけでした。
父親と連絡をとらずにいたことの方が長かったため、調べるのは難しかったが、ほんの少しでも一緒に生活する期間があったにも関わらず、して返したことが何もないことがわかりました。そして、父親がいたからこそ、自分が生まれてこれたことを忘れ、自分自身の中から父親の存在を消して生活してきたことに気付くことができました。
それは、父親と再会して、自分がとった行動をよく調べてから分かりました。再会した父親に対してそっけない態度をとり、連絡してきてくれた電話にも出ないというひどい私でした。私の父親は世界でたった一人しかいないのに、その存在を消していた自分は、父親に対して何てひどいことをしたのだろうと、自分で自分を疑いました。
自分が現在まで沢山の人に出会い、たくさんの思い出を作る事が出来たのも、元をたどれば、父親・母親がいたからこそであることに気付くことができました。また、その他たくさんの人に支えられて生きてこれたことにも気付くことができました。
そして、自分が生活するうえでの食物にしろ、衣類にしろ、その背景にある、作って頂いた方々、大地、太陽など、私を取り囲む全てに感謝することができました。このことは、内観を体験したからこそ気付く事ができたのであり、本当に自分にとってプラスとなる一週間を過ごすことができました。
くわえて、内観をするにあたって、お世話になった奥之院の方々にも感謝の気持ちで一杯です。一週間、私はひたすら壁に向かって自分を調べているだけでしたが、ご飯も毎日三度頂き、食べた物も運んでいただき、温かい風呂にも入らせて頂き、私がたくさんの事に気付くことができたのも、裏でお世話して頂いた方々がいたからこそです。本当にありがとうございました。
今まで生きてきた二十四年間で、最も自分の為になる一週間を過ごすことができました。心から感謝しております。ありがとうございました。
この世のすべてのものは、みな縁によって現れたものであるから、もともと差別はない。差別を見るのは、人々の偏見である。
もともと生もなければ滅もないのに、生死の差別を見、また、人間の行為それ自体には善もなければ悪もないのに、善悪の差別を見るのが、人々の偏見である。
そして、人ははからいから、すべてのものに執着する。富に執着し、財に執着し、名に執着し、命に執着する。有無、善悪、正邪、すべてのものにとらわれて迷いを重ね、苦しみと悩みとを招く。(楞伽経、蛇喩経)
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