人間として生れてきたからには、人として最高の自分史を書き上げたい。そこで一番大切なことは何だろう。
お金があることだろうか。お金持ちが居て貧しい人が居ることは当たり前のことでそれは特別なことではない。基準としては不適格だ。それでは有名になることだろうか。有名になった人は何かを行った結果であり、それは目的ではない。
私はミャンマーで、この4年間2ヶ月に一回の農民研修で毎回講義を行ってきた。そこで度々ミャンマーの農民に教わったことがある。それは「志を持って生きることと、自分が幸せになることは一体である。」ということだ。その意味を質問してみた。
私の質問に対する彼らの答えはこうである「志を持って生きるとは、他の人のために役に立つ生き方をすることで、自分が幸せを感じる時は他の人のために役に立った時である。」ということは、人間一人では幸せになれないということではないだろうか。
ミャンマーでは多くの人々が仏教を信じ、仏教は慈悲を実践することを教えている。そして「慈悲には幅や長さが無く測れない。しかし、行ったり来たりする。」という言葉がある。
日本にも同じような言葉がある。「情けは人の為ならず。」つまり、幸せになるためには、利他を実践すれば良いということだ。
しかしながら、翻って現実の社会に目を向けてみれば、人間誰しも自分が最優先で、始終お金のことばかり考えている。だから今の社会が住みにくくなってしまったのではないだろうか。
であるならば、これから私たちは、これまでとは逆の生き方をすれば良いということが分かる。私がミャンマーで学んだ最大のことはこれである。
何も無いことは良い仕事をするための基本であり、世のため人のために役に立つ生き方を実践することが自分も幸せになれる方法であるし、平和で豊かな社会を実現する近道である。
インドのスラムに生涯を捧げたマザー・テレサも「奉仕の果実は平和である。」と言っておられる。
自分の人生の歴史を書くのは自分しかいない。人は誰でも自分の責任で生きなければならないということだ。
私が自分の歴史を書くときの基準として採用したものは「慈悲」「正直さ」「向上心」「知足」「感謝」の5つである。自分自身がどこまでこれらを実践できるが、自分の人生を豊かにできるかどうかの鍵であると思う。
21世紀の社会を貫く新しい価値観は「上求菩提・下化衆生」、自らが悟りを求め、人々へも影響を与える。
自利・利他が別々に存在するのではなく、一人の生き方の中に渾然一体となって同時に存在する。皆がそのよう生き方を実践すれば、循環型共生社会はそう遠くない将来に実現できるものと確信している。合掌 (れんげ農苑長 平野喜幸)
すべてこのように、何事も身のためを思わず、他人に対してもおごる思いをせず、たださとりのため、教えのため、他人の為と思ってしなければならない。(大般涅槃経)
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