今回も、心理学・教育学・社会学の博士号を持ち、心学研究家である「小林正観師」の最新刊『究極の損得勘定Part2』(宝来社)を紹介させていただきます。
小林師はコンセプター(基本概念提案者)として、「ものづくり・ひとづくり・宿づくり・町づくり」にもかかわり、旅行作家として、また「幸せの講演者」として、日本全国を飛びまわって活躍されておられます。
幸福になる為の「宇宙法則」の使いこなし方をこの本で紹介しておられます。幸せになりたい方必読の本です。皆様も是非読まれて、楽しい毎日を送られて下さい。
悩み、苦しみ、苦悩、煩悩とは、何かを自分の思い通りにしようとした瞬間に生まれるのです。私達の悩み苦しみは、自分だけの力で自分の人生をつくっていると思っているところから、起きているのではないでしょうか。
最終的に売れるとか、広まるとか、成功するということは、本人の力ではありません。決定的な部分はすべて、周囲のおかげ、また目に見えない四次元の存在のおかげ、ということがわかったら、あとはただ、感謝であり、ありがとうと手を合わせることができるのです。
師匠が偉大かどうかというのは、その弟子が周囲の人から尊敬される人物だったかどうかによって決まります。
親鸞の悪人正機説の小林先生の解釈・・・自分を善人で立派な者だと思っている人は、大往生を遂げるかもしれない。しかし、自分は悪人でどうしようもないやつだと思っている人のほうが本当の仏である。自分で自分の事を善人だと思っている人よりも、自分を悪人だと思って苦しんでいる人のほうが、より仏に近い。
「正義感」「使命感」はマイナスのエネルギー。戦争とは、自分が善人で正しいと思い込んでいる人間どうしの闘い。「自分が間違っているかもしれない。」と思ったら、闘いや争いにはならない。憎しみや恨みというものは、すべて自分が正しいと思ったところから始まるのです。正義感は悪魔の側にあるように思えます。
「許す者は許される。許さぬ者は許されない。裁く者は裁かれる。裁かぬ者は裁かれない。」(キリスト)正義感や使命感が強ければ強いほど、生きるのが苦しいようにできている。自分以外の人を許せないからです。「許せない。許せない。」と狭い心で糾弾しているよりは、自分の心の許容範囲を拡げて、「そういうこともあるよね。」と、ニコニコ生きているのが楽なように神様は人間をつくったようです。
究極の損得勘定とは、自分に楽しいことが宇宙から降ってくるという人生がほしいのであれば、たくさん投げかけること。喜ばれるように投げかけると、自分にとって喜べるようないろんな現象が降ってくる。嫌がられるようなものを投げかけていると、自分にとって嫌な状態に囲まれて生きていくことになる。次から次へと面倒くさいことが起きてきます。
どうやって儲けようかと考えるより、「うれしい、たのしい、幸せ」だけ考えていれば、よい。どうしたら売上があがるのか?人が来るのか?という問い自体が間違っている。「いかに自分がいい思いをするか」ではなくて、先ず「どうしたら喜ばれるか」だけ考えていればいい。
病気や事故や災難ということを通して、幸せの本質に体験的に気が付いてしまう人が1パーセントいます。その人たちは何かを手に入れなくても幸せに感じられるようになった。毎日すべてが、ありがたくてありがたくて手を合わせることができるという状態です。「今のままで充分幸せだよね、必要なものは全部いただいている。」ということに気付いた。自分も、目の前の相手も、今のままですでに百点満点であると思えるわけです。
執着がなくなった人を「解(ほど)けた人」と呼び、それが「ほとけ」の語源となりました。「執着」から解き放たれていない人たちが、世界の住人の99パーセントということです。
人間の生活というものは、「苦(思いどおりにならない)」と釈迦は悟りました。そして、その原因が「集」、つまり執着だと言いました。「苦」そのものをなくすことはできないが、その元となっている執着を「滅」すればよい。そして、日常生活の中でその都度、執着が起きてきたら、ひとつづつ取り去るように実践していくこと、それが「道」である、と教えました。釈迦はこの悟りと実践によって、実際に「苦」から解き放たれ、解脱することができたということです。
「苦」の正体は「思いどおりにならないこと」であって、それは自分の外側から降ってきているのではない。全部内側、自分の「思い」の問題だった。それを思いどおりにしたいという「執着」を持たなければ、人間はすべての「苦」から解放されるのです。
人間の生きる目的とは、頑張ることや努力すること、何かを成し遂げることではなく、「いかに喜ばれる存在になるか」です。
肉体の死よりも「存在の死」を如何に遅らせるかが大事である。存在の死とは、その人のことを語る人が誰もいなくなった時のことです。釈迦もキリストも坂本竜馬もまだ、存在の死を迎えてはいないのです。
人間関係の中で、相手が何か理不尽なことをしたとしても、この人をどうにかしようと思うのではなくて、ただ丸ごと認めると楽。この人をどうにかしよう、変えようと思うから苦しいのであり、思いどおりにならないのです。その都度、「ああ、そういう人でしたか」と思えば気にならない。「受け入れられるような私」を作ってしまったら、問題がどこにもなくなります。
今自分がやるべき事というのは、自分の目の前にいる人を大事にすることです。やるべきことがあったら、それをやることです。今すべきことは、目の前の事、人、物を大事にするだけ。死ぬまでの間に、どれほどの人に喜んでもらえるかを、ひたすら考えるだけなのです。
ガンで余命3ヶ月と宣言されてから、奇跡的にガンが治った人の共通項は、「ガンをどう治すか、どう延命するか」ではなくて、「残された3ヶ月という時間をどう生きるか」に考えを切り替えた人である。
宇宙の二重構造、裏返し構造・・・宇宙の仕組みは、「『執着』しないと、その望みは叶うことがある」ということです。『執着』があると全然叶いません。執着すればするほど、手にいらなくなるどころか、反対の現象が迫ってくるという構造になっています。「こうなったら嬉しい、楽しい、幸せ」と思うのはかまわないけれど、「そうでなきゃいやだ、ダメ、ねばならない」と思った瞬間に、そうならなくなる。宇宙は二重構造。求めたものと反対のものが与えられる。与えると与えられる。
人生相談の98パーセントは、「自分の理想や価値観に合わない人を、どうしたらいいでしょうか」というものです。他人を自分の思い通りにするという考え方をやめて、自分がどう生きるかだけを考える。世の中を暗い暗いと嘆くより、みずから光ってその闇照らそう。評論する暇があったら、自分が光になること。自分がどう光るかを考えるといい。光っている人とは、明るい人、即ち実践している人のことです。(終)
世界はそれ自体の実体を持っていない。心のはからいをなくす道を得なければならない。外の形に迷いがあるのではなく、内の心が迷いを生ずるのである。
心の欲をもととして、この欲の火に焼かれて苦しみ悩み、無明をもととして、迷いの闇に包まれて、愁い悲しむ。迷いの家を造るものは、この心の他にないことを知って、道を求める人は、この心と戦って進んでゆかなければならない。(仏昇とう利天為母説法経)
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