先ずは母の事を考えました。物心はなかったのですが、乳をく ださり、おしめを替えて下さいました。私はそれ程体が強くなか ったと聞いた事もありますので、数々の病気もしたことでしょう。 その看病等、大変な気遣いとご苦労だったと思います。
子供だった私を背負って働いてくれた母。仕事を抜けてきてま で、保育園の送り迎えをしていただきました。それなのに私は、 「僕を置いて何処に行くの!」とわがままを言い、母を困らせた ものです。
小・中学校に入っても、給食以外の食事、そうじ、洗濯と働き ながらも全てをやって頂きました。学校ではいじめられ、家では 父にやられ、行き場のなくなった私を、それは大事に気遣って下 さいました。
学校でけがをし、病院へつれていかれた時も、仕事中にもかか わらず、すぐに駆けつけ、体を心配して下さいました。おでこに けがをした時も、夜に仕事から帰って疲れていても、少しでも早 く治るようにと必死になって手当てをして下さいました。
高校に入ると、更に毎日の弁当まで作って頂きました。通学中 に車とぶつかった時も、相手との対応、そして、体が治るまで、 毎日手当てをしてくださいました。専門学校へ進学する費用、そ して車の免許証のお金もだして頂きました。
この頃に家を新しくしましたが、そのお金は母と父が半分ずつ 出して頂きました。その後、結婚するまでその家に住まわせても らいました。
一年の終わりと卒業する時に作品の展示会がありましたが、母 はちゃんと見に来てくださいました。とても嬉しかったです。社 会に出てからも、食事の心配、体調の気遣いと、常に私の事を考 えていて下さいました。お金の心配はないのか等、私が大人にな れていない事も、また甘えている事もあって、大変な苦労をおか けしました。
今まで全てを与えて頂いたのに、私は何も返していません。今 後は少しでもお返しする事が出来るように、母に対してしていき ます。
次に父ですが、正直私は父を憎んでいました。自分の気分で叱 り、手を出す人でしたので、出来る限り近づかないように避けて まいりました。しかし、思い返してみれば、物心つくまでは、母 と協力して育てて頂いたのでしょう。夜泣きする私を外に出てあ やしてくれたとも聞いた事があります。
野球のことや、将棋の指し方等も教えて下さいました。私が一 生やり続けると思う釣りも父が教え、連れて行って下さいました。 なのに、最近の私は父の誘いも断り、冷たく接しました。するこ とも無く寂しく思ったために、お酒の量も増えてしまったかもし れません。今後は態度を改め、たまには、こちらから誘う位にし ていきます。
最後に妻なのですが、今の私は彼女の存在なくしては語れませ ん。父と母の日等にプレゼントを贈る等、私は考えた事もありま せんでした。お陰で親子関係もかなり良くなり、交流も増えまし た。細かい所にまったく気の回らない私を、体調面、精神面でし っかり支えて頂いています。なのに私は、忠告を無視したり、す ぐに対応せず渋ったり、・・・・、感謝の影も形もみえません。
病気になった時の手厚い看病、とてもできるものではありませ ん。本当に心配しての助言を無視した挙句、体調をくずした私を 見捨てることなく優しくして頂いた事、心の奥底で忘れず生きて いきます。
日々の生活、旅行等の楽しい思い出は、私に生きる喜びを教え て下さいました。これからも共に楽しい家庭を築き、今までの、 そして、これからの御恩を少しでも返していきながら、生きてい きます。
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