(28才男性の内観) |
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当初3日間は、正直な所あまり身が入らず、父母について調べ ると言っても、昔のことをつらつらと思い出すだけの事であって、 その時々の感情やら、考え等は少しも調べてはいなかったように 思う。
真剣に調べるきっかけとなったのは、ある日のお昼の父が息子 に対し内観している際の録音が流されてからであった。その時に、 子供の何気ない仕草や行動で心打たれていたその人を、自分の父 や母ではどうであったろうかと置き換えて調べるようになった。
母にとっては、だいぶ年を重ねてからの息子であり、よほど嬉し い事であったと思う。また、幼稚園、小学校、中学、高校、大学 をそれぞれの入学、卒業の際には、必ず顔を出してくれていた。
母の運転で私が助手席に乗っていた時、急ブレーキをかけると 左手を出してかばうようにしていた事も思い出した。
そして、毎日のご飯やお弁当、そして掃除に洗濯、少しばかり 手伝ったと言っても、月にほんの2〜3回程度、これまでの回数 を考えても本当にお世話になっており、そして、そんな事も考え もせずに、これまで過ごしてきたのだと気付いた。
お返しも特にせず、自分勝手に一人で生きてきた訳ではないの に、ここまで大きくなった事が恩返しだということを考えている 時期もあった。
幼少期の父親について考えてみても、やはり、世話になった事、 教えてもらった事が沢山あったのだと思い出した。
肩車して山を登ってくれたり、山での歩き方を教えてくれたり、 様々な場所へ行った時の写真を撮ってくれたり。
毎日の生活の中での父の記憶はあまり無いけれども、その分、 僕達を幸せにしてくれる為に働いていたのだと思う。
そして、父との別れの日、自分はただ家族で東京に引っ越すの だと最初は思っていた。しかし、その日が近づくにつれて、父と 母が分かれるのだと知り、そして父から、「母と弟の面倒をしっ かりな」と言われて、確信になった。
それからの今日までの生活は、上手く事が進まないと、「あん な事のあったせいだ」と両親のせいにばかりして、何事からも逃 げていた。
いや、本当は全部自分がした事、決めた事、自分の弱さ、甘え の為だと気付いていた。にもかかわらず、自分に厳しくするとい う事からも逃げ、結局は楽な方へ逃げ、流され、最後にはどうし ようもなくなっていたのだと気付いた。全部自分の責任だった。
母に対して特別に辛く接していた訳ではないが、今後、もっと 素直に接していこうと思う。挨拶、お礼、手伝い、毎日の感謝を 持って接していけば、まずはいいのかなと思う。
父に対しては、もういない者、死んだ者として考え、思い出さ ない様にしてきたが、探してみて、会って話がしたいと思う。小 さい頃は母親になついていたが、やはり社会に出て、一番の手本 となるのは、父ではないかと思うからである。
(探して、もし亡くなっているなら、文句の一つでも言って、墓 でもけってやらねば気が治まらんとは思うが。)
色々と男同士、これまでの事を話したり、これからの事を相談 したり、父だから話したいという事が沢山ある。
内観をしていく中でもう一つ気付いた事は、自分で決めた事が 殆どなく、目標という目標も特に無くこれまで生きてきたという 事である。 自分で決めたと思っていた事でも、本当は友人と話 して決めた事だったりした。
人生計画をやって、今日ここで決めたこと、決意した事がある が、それに対しては、今後必ず達成するように努力していこうと 思う。
母に対して素直に・・・。一つのことに素直に向き合えば、全 ての事に対して素直に向き合えるのではないかと思う。少なくと も今回決めた事だけでも、人生をかけて必ず達成したい。一週間 どうもありがとうございました。
いくらかものを明らかに見る力を得て、これに眼がくらんで心が 高ぶり、自分をほめて他をそしるのは、木の肉を得て芯を得たと 思うようなものである。これらのものはみなすべて、気がゆるん で怠り、ふたたび苦しみを招くに至るであろう。(大樹心喩経)
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