1週間の内観が無事終わりました。深く出来たのか浅かったの かと聞かれると、どちらかと言えば浅かったように思えます。
しかし、一つ大きく気付いたというのか、気付かせられたとい うのか、「すべての道はローマに通ず。」ではないですけれど、 「全ての恨みは感謝に通ず」という事があります。気付きの中で 一番大きかった様に思えます。
私はこの内観で、父母それぞれについて誕生から現在まで約3 回調べました。母についてですが、やはり大きな事柄が、炊事、 洗濯、掃除、育児等の生きる上で一番重要なのですが、当然のも のと考えられ軽視されることでした。
もし、それらの仕事を時給800円、一日16時間労働と考え ますと、年467万という給与を払う事になります。それを無償 で行ってもらっていたにも関わらず、朝自分で起きるべきところ を母に起こしてもらい、母が寝坊して起床が遅れ私が学校に遅れ ると、母のせいにして怒っていました。何とも自分勝手でした。
お腹の病気になり、学校に行くことが出来ずウツになった時、 私が学校を辞めたい、死にたいなどと母に言ったところ、母がと りあってくれないのを恨んでいました。
内観して考えると、息子がそんな状態で心配しない親がどこに いるでしょう。母は私の将来までを心配して、心を鬼にして私に 学校に行かせていたのではないでしょうか。
辛かった。あの頃は本当に辛かった。母がいなかったら、もっ とどっぷりと辛さの底に沈んでいたと思います。その辛さから母 に対しても誰に対してもきつく当り、「行って来ます」の一言も 言っていませんでした。
本当にすみません。本当にありがとう。産んでくれてありがと う。育ててくれてありがとう。心配してくれてありがとう。思い 出す、観えてくる、して頂いた事、迷惑をかけた事・・・・・。
父についてですが、父は様々な所に連れていってくれた。梨が り、キャンプ、遊園地、・・・・。父はずっと働いてくれている。 嫌な事も、もう会社なんてやめてしまいたいと思った事も数多く あると思う。それを家族の為、兄達の為、私のためと我慢して働 いてくれているのだろう。
計算すると私の現在までの養育費は、おおよそ1618万円。 父が自分自身のために使えば、どれだけ楽しい思いが出来ただろ う。父はバスケットボールが大好きだった。よく父について行き、 ボールに触れていた自分がいた。しかし父は仕事で腰を痛め、忙 しさも年齢もあるだろうが、そんなバスケットボールにずっと触 れていない。
さらに父は仕事で移動が多く、現在も単身赴任をしている。疲 れた体で帰り、自分で飯を作り、自分で洗濯し、独りで寝る。家 族があるのにこんな悲しい事があるだろうか。
我慢我慢で私を育ててくれた父。本当にすみません。本当にあ りがとう。育ててくれてありがとう。心配してくれてありがとう。 思い出す。観えてくる。して頂いた事、迷惑をかけた事。
しかし、して返した事が出てこない。せいぜい肩揉みとか、・ ・・・・。出てこないのは当たり前だった。何故ならして返した 事が無いのだから。何かこの先返さなければ。
そして恨みについて。私は自分ではあまり人に恨みを持つ方で はないと思っていましたが、叩けば出てくる出てくる恨みの埃が。 大きな恨みを持っておりました。しかし、内観で気付かされた。 前から知ってはいたが重要視していなかった「反面教師」の重大 さについて、そして、「全ての恨みは感謝に通ず」に。
例えば、誰かに殴られる。そしたら、殴られた理由について自 分の悪かった面を知ることが出来、より良い自分に正す事が出来 る。ここで恨みは感謝に通じる。気付かせてくれてありがとう。 殴ってくれてありがとう、と。
しかし、どんなに考えても自分に過ちが無く、完全に相手が悪 い場合もある。そしたら、こう考える。これで殴られる人の気持 ちが分かった。どんなにか辛い事だろう。もう決して相手をこん な気持ちで人を殴ることはしない様にしよう。あぁ、またより良 い自分になれる。気づかせてくれてありがとう。殴ってくれてあ りがとう、と。
これが、「すべての恨みは感謝に通ず。」という事。しかし、 「言うは易く行なうは難し」という言葉はまさしくこれに当ては まり、分かってはいても、決して感謝など出来ない不条理な事も あり、これほど難しいことはない。私もほぼ実行できない。いく つ年を経れば可能だろうか。いや、死ぬまで出来ないとも思える。 いやいや果たしてこれが出来る人間なぞ存在するのだろうか。
内観で感謝を知ったはいいが、実行出来るのかどうか。それが 今後の課題となると結論づけた一週間でした。面接の先生、台所 の人、一緒に内観を受けた皆様、本当にありがとうございました。
(何事も完璧を目指さず、小さな事を、できる範囲で実行すれば、 楽しい人生を過ごせるのではないでしょうか。感謝と許しで、陽 気に明るく楽しく暮らしていきましょう。)
すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成って いる。汚れた心でものを言い、また身で行うと、苦しみがその人 に従うのは、ちょうど牽く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行うと、楽しみ がその人に従うのは、ちょうど影が形に添うようなものである。(法句経)
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