1998年1月10日第18号
幸福ニュース
六波羅蜜と六種の供養
(み仏様との合一をめざして)
{自然の息吹と萌え上る命の炎}

昨日は、朝の祈祷を済ませ食事を終えた後、久びさに奥之院の外境内の山を歩きました。山の中腹から晴れ渡った空を見上げながら暖かい陽射しの中で枯れ落葉の積もった山肌に身を横たえます。

目を閉じて耳を澄ませるとうぐいすやめじろ、しじゆうからの声が方々から聴こえてきます。しばしのまどろみから醒めて目を開けると、小さな新芽をたくさん付けた低木の枝が視野に飛ぴ込んで来ました。

春の陽の逆光の中でその木の芽からかすかにオーラ(霊光)のようなものが出ています。春を待ちこがれていた木々の命の炎が燃え上がっているようです。植物の命をこれはど身近に感じたことはありませんでした。それは私自身が彼らと同じように大地に身体を密着させて天空を見上げていたからかもしれません。

私達は日々の生活でほとんど大地と接することはありません。まして都会では住居や仕事場さえも数階建ての地上何メートル、何十メートルで生活している人も多いと思います。キリスト教やイスラム教が砂漠の宗教であるのに対して、仏教は森の宗教と言われています。

お釈迦様が大いなる悟りを開かれたのは、インド・ブッダガヤの菩提樹の下でした。また説法をされた多くの場所はインド各地の森や竹林でした。そしてその時、多くの木々や草花もこの説法に聞き入っていたことでしょう。そしてお釈迦様が浬槃(ねはん)に入られたのは、沙羅(さら)の木が生い茂ったインドのクシャガラでした。

{草も木も花も悉く仏性あり}

お釈迦様が最後の説法を終えられてお亡くなりになった時、多くの弟子達と同じく多くの森の動物達が深い悲しみに包まれました。その時、沙羅の木を始め多くの草や木は時ならぬ花を咲かせたと仏伝は伝えています。

このように仏教は人間だけでなく動物にも、そして植物にも仏性(仏になる可能性)が宿っていると説いています。最近では植物も心を持っている事が解って来ました。音楽にも反応するし、人の言葉にさえ反応することも解って来ました。植物が人の言葉に反応するならば、逆に私達も植物から何かを感じる事もできるはずです。

仏教では蓮華の花をみ仏様の慈悲の象徴として仏画や仏像に多く取り入れられています。私達は蓮華の花を見て、その姿からみ仏様の慈悲を感じ取り、穏やかな心を教えられるのです。また花は仏様にお供えするものとして欠かせないものの一つです。

{六波羅蜜にみるご供養の方法}

仏教が大乗仏教へと発展して行く中で、六波羅蜜(ろくはらみつ)(六つの完全なる道)が仏道修行の大切な徳目として定着しました。

それは一、檀那波羅蜜(だんなはらみつ、布施)二、持戒波羅蜜(じかいはらみつ、戒を守る)三、忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ、耐え忍ぶ)四、精進波羅蜜(しょうじんはらみつ、努力する)五、禅定波羅蜜(ぜんじょうはらみつ、心を落ち着ける)六、般若渡羅蜜(はんにゃはらみつ、本当の智慧を完成する)です。

そしてこの六波羅蜜は真言密教に取り入れられると、み仏様にお仕えし、み仏様と自分とを合一する修行の中に具体的に取り入れられました。この密教の修行を三密の行と言いますが、この行を修する中で大切な部分にみ仏様にお仕えする供養の方法が具体的に示してあります。供養には六種類ありまして、この六種を先の六波羅蜜のそれぞれに当てはめてあるのです。

{み仏の智慧に生きる私たち}

先ず第一の檀那(布施)は清らかな水です。一般家庭(在家信者)では仏壇にお供えするお茶と考えてもよいでしょう。第二の持戒は塗香(ずこう)です。粉末状の香りのよいお香を仏様に捧げます。一般家庭ではこれに当たるものはありません。第三の忍辱は先程からお話ししている花です。花を見て怒り出す人は居ないように、花は人に苦しみに耐え忍ぶ勇気を起こさせてくれるので、この忍耐に配してあると思います。

第四の精進はよく精進料理といわれるように、生臭さものを食べないという狭い意味ではありません。たゆまず努力するということです。皆さんが自宅の仏壇にお参りされる時、線香を点されると思います。この線香は一度火を付けると燃え尽きるまで、一時も休むことなく一定の速度で香りを出し続けます。このようにたゆまず燃え続ける線香のように、私達にもたゆまず努力し続けることを無言のうちに教えてくれるお香を精進に配してあるのです。

第五の禅定に当たるものは仏飯(ぶっぱん)です。以前あるお坊さんが法話をしておられた時、この仏飯に話しが及ぴますと、一人の若い人が(うちでは朝はパン食なので仏飯はお供えできません。)と言ったところ、(バンでも良いんですよ。ブッパンと言うぐらいですから)と、おもしろい答えをしておられました。このお話しは単なるジョークということではありません。仏飯とは食べもの、主食となるものということです。

{花に託すメッセージ}

神戸大震災の時、当寺が神戸で行なった救援隊の活動で一番喜ばれたのは大鍋で作った温かい炊き出しでした。最初に炊き出しをした時、弟子や職員違は(温かい炊き出しを食べ終えた被災者の人達は、皆な本当にホッとした顔をしておられました)と報告していました。お腹が空いた時、人は食べ物を食べることによってホッとし、これまでトゲトゲしかった心が落着きを取り戻します。このように食べ物を食べることによって心が落ち着くところから、仏飯を禅定に配してあるのです。

最後の智慧は灯明です。灯明やローソクの光が暗闇を照らすように、私達の迷いや悩みの闇を照らすものは、ものごとの本質をありのままに見通す仏の智慧、いわゆる般若の智慧なのです。

このように皆さんがそれぞれの家で仏壇にお参りされる時、お供えされる様々なものには密教の…智慧によって、このように様々な意味付けがなされているのです。そしてそれらのお供えは全てみ仏様やご先祖様にお供えするという行為を通じて、ひるがえって私達自身に六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えを示しているのです。

{めぐりめぐって私たちのもとへ}

平成七年三月二十二日には改造したマイクロバスにカーネーション千本と鉢植えの草花二百鉢を他の救援物資と共に積み込みました。これはその時小学校、中学校を卒業する神戸の子供達に配るためのものでした。卒業する子供達に対するささやかな花むけであると同時に清らかな花の姿を通じて、(苦難を耐え忍んで、たくましく次の一歩を踏み出して欲しい)という願いを込めてのものでした。

気象庁の発表によると、今年の桜の開花予測は熊本が全国に先駆けて開花すると伝えていました。しかし、私達はただその美しさに見とれるだけではなく、花達が伝えてくれる様々なメッセージを深い感性でしっかりと受け止め、自分自身の心を少しでも洗い清めて行きたいものです。合掌

<坂村真民詩集>
{花}

何が

一番いいか

花が

一番いい

花の

どこがいいか

信じて

咲くのがいい

{念ずる}

念ずるのだ
念ずれば
花ひらく
八字十音の真言を
一切衆生の胸に点火することを
念ずるのだ

念ずるのだ
あの人この人の処へ
タンポポのように飛んでいって
慰め励ましてゆくことのできる
そういう人間になり
そういう詩をつくることを
念ずるのだ

念ずるのだ
大きな病気にもかからず
人に迷惑をかけず
世尊のように
涅槃に入ってゆける
自分になりたいと
念ずるのだ

念ずるのだ
この家で
あと二十年
詩精進のできるよう
諸仏諸菩薩
大詩霊さまに
念ずるのだ

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