今まで父に対すること、母に対することについて、普段感謝の心を持って一緒に生活してきたつもりですが、この1週間改めて内観をすると、いろんなことで自分に対する親の愛情気配りがあったことを思い出させられました。
まして自分一人では何もできなかった事にも改めて実感し、自分に対して、生まれてから今までの成長を無事に出来たのも、両親のやさしさ、そして大事に育てられた事が、内観を通じてすごく鮮明に目に浮かんできました。
逆に自分が親の心をわかっていなかったように思います。分かっていたつもりが、やはり分かっていなかったということです。この1週間ですべて観えたというわけではありません。まだこれから先も内観をする必要がありますが、内観には終りはないと思っております。
いざ内観を始めると、狭い屏風の中にポツンと座って自分を見つめるということでした。最初に母に対する自分について調べてみると、生まれてから幼少の頃にどんなことがあったか、あまり記憶などありませんので、ごく簡単な答しか出せませんでした。しかし、繰り返し繰り返し内観面接を受けるにあたり、このせまい屏風の中で、自然と少しずつではありますが、見えてくるようになりました。
その時に自分というものは、「あんな事もあったな」と出てくるようになり、それに対して母から、父からお世話になったことが見えてくるようになりました。自分自身感謝の心を持つようにといつも母から言いつけられて、人からしてもらった事を感謝することをしていました。
人に対しても、困った時には何かしてあげられる事は、やってきたつもりです。それでも、この内観を通じて自分は、まだまだ未熟な人間、そして小さな心を持った人間だと思いました。
この内観で気付いた自分があり、生まれてから今日までの自分は、本当に親に今までしてきてもらったことが、分かっていなかったというより、これが親の責任、当たり前のことだと思っていた部分があった自分がいました。
これは大きな間違いでした。私は未熟児で生まれて、半年以上母の胸の中で抱かれず、母はとてもつらかったそうです。自分はその事で、責任は親にあると思っていましたが、母親も責任はお母さんにあると言っていましたし・・・。
しかし、未熟児で生まれてきた自分に対して、母はどれほどまでに苦労をかけて育ててきたのか、普段は考えもしませんでしたが、内観を通じて、初めて母の苦労した姿が見えてきました。自分は母に対して無礼なことをしたと、反省の言葉しかでません。
今こうして生きていられるのも、母のあの時の献身的な看病があって、やっと母の胸の中に抱かれ育てられ、今日まで生きてこれたのですから。
今思えば、今までの自分というものは、親に対して迷惑をかけてばかりの人生だと思います。それを見守ってくれた親の姿もあります。この今まで迷惑をかけた分、これから先どこまで親に対してして返すことができるか分かりませんけど、親の喜ぶ顔を見つづければいいと思います。
これから先自分は、28才で独身ですが、親は孫の顔が見たいと言っています。自分にとってはその言葉が重圧で嫌だったのですが、この内観を通じて、やはり親にして返すのは、まず結婚ではないかと思いますので、実現できるように頑張っていきます。
自分自身今まで自己主張とかなく、流されやすい自分であり、自信がなかったので、これからは自分を信じて、自信を持って人生を切り開いていきます。
長い1週間だと思っていましたが、終わってみると短い1週間だったと思います。この内観が無駄にならないように、今後も内観が続いているという気持ちで、人生を歩んでいきます。
内観という経験ができまして、私自身大きな幸せであり、改めて自分を見つめ直すことが出来ましたので、非常に感謝しております。
家に帰りましたら、父母そして兄弟に有難うございましたと言います。この1週間お参り、そしてお食事など大変お世話になりました。有難うございました。
仏の心は、大いなる慈悲と智慧そのものであるから、どんな人をも救う。(観無量寿経)
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