内観の初日、JR玉名駅で下車し、駅前の様子を見渡しながら、内観とは何なのか、さっぱりわからないことに、とても不安であった。内観を受けるきっかけは、あまりにも仕事の上で次々にでてくる難問にクタクタになり、不眠症やうつ状態で2人の子供の弁当作り等の家事に対する意欲や仕事に対する前向きな気持ちが持てなくなり、何とかしたいと思った。
思えば20年前に前夫と出会い、親の反対を押し切り、無理して結婚し、2人の子供に恵まれたが、夫の借金をかぶって6年前に離婚した。その後、死に物狂いで仕事を成功させ、子供達に生き方を教えたいと、ただひたすら不器用ながらやってきた。
いろんな方々が応援し、支えてくださって現在に至るが、ここにきて休む間も無く、頭の痛い問題が・・・・・。頑張ればいつかは・・・と思ってきたが、私も生身の人間だと、生きる事に疲れかけていた。
仕事から子供から離れて、自分自身を見つめ直してみたいと真剣に思った。一度そう思うと、たまらなくなった。これまでの私には、考えられない決断力と行動力だった。このままではダメになる、私が死んでしまうと本当に思った。
早速弟にメールで「精神修業がしたい。」と送ると、「内観がいいよ。」と簡単な返事だった。すぐにインターネットで調べてみると、何と昨年友人が、落ち込んでいる私を元気付けるために誘ってくれた、バスツアーで行ったお寺の大きな鐘の写真だった。これだと思った。
駅からタクシーで奥之院に向かう道は、私を新しい世界へ導かれているような、わくわくとした気持ちにしてくれた。着いてしばらくすると、一週間の過ごし方と内観についての説明を受けたが、すぐには理解できない自分にあせりを感じた。子供と一週間離れること、仕事を人にお願いしてきた事を思うと、タダでは帰れないと思った。
2日過ぎ3日目に入ると、段々と内観の受け方がわかってきた。それは、規則正しい生活と朝夕のお参りで、少しずつパニックになっていた私の頭の中の細胞に酸素が通い、活性化されたからだろうか。
「お父さん、ごめんなさい。そしてありがとう。」「お母さん、ごめんなさい。そしてありがとう」2人の子供達に、周囲の方々に対する思いが、次々と込み上げてきた。
あの日常のあわただしい中で、どれだけの人が自分の過去を振り返るだろうか。自分の過去は、実は自分の思い込みが多く、真実は他にあると気付く人は、どれだけいるのだろうか。
私は今この内観で、自分の歩んできた過去を再確認し整理することで、今の自分の立場と、今後の進むべき道と、その進み方のヒントをいただいた。またいつか、自分の人生における位置付けがわからなくなった時、きっとここに来ると思う。内観を知ったことは、他界した祖母や父からの私へのプレゼントにも思える。
今日、一週間の内観を終り、明日からまた生まれ変わったつもりで頑張りたい。自分の家に帰り着き、母と子供に会ったら、まず今までの自分をわび、感謝の気持ちを伝えたいと思う。(終)
仏を信じない人は、自分のことだけを思いわずらうから、心が狭く小さく、いつもこせこせと焦るのである。しかし、仏を信ずる人は、背後の力、背後の大悲を信ずるから、自然に心が広く大きくなり、焦らない。(大般涅槃経)
*あなたも メールマガジン「幸福ニュース」を購読しませんか。費用は、無料です。 下記に登録するだけで、E-MAILで毎月3回自動配信されます。 メールマガジン登録 メールマガジン解除
|
|