内観の存在は現在の会社に入社して初めて知りました。社員研修で必ず体験するもので、一週間誰とも口をきかずに座り込み、とにかく考えるだけの辛い研修だと聞かされておりました。
新しい会社のため、同僚や上司の中でも誰もこの内観を経験した人がおらず、私の中では、宗教的でイメージとしてオウム真理教のようなものだと思っておりました。参加すれば必ず洗脳されて帰って来ることになるだろうと、同僚達との間でもあまりいい印象ではなく、強烈な不安感と先入観を持っておりました。
こちらへ伺う日までに、大学教授の三木善彦氏の書かれた『心の宝と出会う本』という本を読み、内観に対するイメージが良くはなってはおりましたが、それでもまだ不安は消えず、不安定な気持ちのまま参加する事となりました。
同室にもう一人同年代の参加者がいてくれた事が始めはとても心強く、何かあっても互いに励ましあえばいいのだからという気持ちで座っておりました。ただ、同室とはいっても、狭い屏風の中はとても窮屈で、考える作業どころか、単にボーっとしているだけで、全く集中できていない一日目でした。
二日目になり、食事と手洗い以外はひたすら考えるだけの長い長い一日で、こんなにも時間が長く感じた事はないというくらいでした。会社から費用を負担して頂き、食事もついていて、ただボーっと一週間座っていていいのだろうかという事ばかり考えておりました。
その夜、母に対する短大二年間の自分を調べ終わり、「社会人となった二十一才から二年間の自分を調べてみます」と面接の方に伝え、おじぎをした直後に、その二年間の出来事がいろいろと頭に浮かびました。
私にとって辛い出来事があった年で、特にその辛い経験をした十日間程の日々が、何度も何度も繰り返し出てきました。お世話になった事、して返した事、迷惑をかけた事の全てにおいて、その辛い経験の中に当てはまるものがあり、集中できていたのか、面接の方が来られる間隔がとても早く感じました。
話し始めてすぐに全身から込み上げてくるものを感じ、思わず涙がでてしまいました。当時の自分に対して辛かったと思い返して出た涙でもありましたが、そのほとんどが影響を受けた父や母に対する申し訳なかったという思いの涙だったのです。久しぶりに気持ちのいい涙が出たという印象でした。
この事があってからか、三日目からは気分的にとても楽になりました。考え始めるとすぐに当時の様子が思い出され、アルバムを幼い頃から順に見ているような感覚でした。中でも特に驚いたことは、お世話になった事や迷惑をかけた事に対し、自分がして返した事がこんなにも少なかったのかという事でした。いつの時代を調べてみても、この項目だけには時間がかかってしまいました。
一週間の内観を通して学んだ事はたくさんありますが、まずは感謝の気持ちを素直に表現していくことから始めようと思います。お世話になった事を考えている時、当たり前だと感じていた事の多さに驚きました。それ程ありがたいという気持ちがなかったという事です。して頂いた事に心の底から「ありがとう」と言える人でありたいと思います。
蓮華院の皆様、一週間大変お世話になりました。毎日の食事もとてもおいしく頂き、一週間の中で一食の断食も、食べられるという事のありがたさを感じることができ、いい経験をさせて頂いたと思います。帰った後もこちらで学んだ事を忘れず、毎日を過ごしていきたいと思います。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
愚かな人とは、自分に示された他人の親切に感謝できない人である。一方賢い人とは、常に感謝の気持ちを持ち、直接自分に親切にしてくれた人だけではなく、すべての人に対して思いやりを持つことによって、感謝の気持ちを表そうとする人である。(パーリ、増支部)
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