会社の研修にこの内観研修が無かったら、一生自分の事を見つめなおすことはなかったかも知れません。会社と会社の上司、先輩、皆様の多忙な時間をいただき、このような時間を創っていただいた事を感謝します。
内観を始めて解ったことは、自分が今まで、親、兄弟、友人、周囲の人達への感謝の気持ちが全くといっていい程無かったという事です。親が子供を育てるのは当たり前の事で、周囲の人間が自分に何かをするのは、以前に自分が周囲の人間に何かをして差し上げたから、もしくは、今後何かを期待しているから、であり、その場限りでの「ありがとう」という言葉はでるが、全く気持ちのこもったものでは無かったのです。その事を気付かせて頂いたのが、食事中に流していただいたテープでした。
本当の内観が解りかけたのは、3日目の母に対する2巡目の内観からだと思います。それまでは、当たり前だと思っていた事をしていただいた事とするのは、私にとって非常に難しいものでした。ご飯を食べさせてもらっていた事、お風呂に入れていただいた事、本当に日常では何事もないことのように行われていた行為に対して、逆の発想をしなくてはならなかったものですから、その事を理解した時、私は今まで何て自己中心的で身勝手な人間であるかを改めて知る事ができると同時に、生かされていることに気付く事ができました。
この内観で一番印象に残っているのは、父親に対する内観です。一巡目の内観は、当り障りのない事を調べていました。ところが、二巡目の内観で、少し深く内観を始めたとたん、物しか浮かんできませんでした。面談の時間になっても、全く浮かんでこない。正直ショックでした。
その後の内観でも、なかなか浮かんでこない。浮かんできたのは、父親に対する今まで表面に現れることの無かった憎しみというか、反発心というか、とてもみにくいものだったことです。内観する機会が無ければ、一生この気持ちを持ち続けたまま生きていたと思うと、ゾッとします。先生の「怒り、憎しみは全部ここへ捨てていきなさい。」という、あの一言が無ければ、内観を途中で投げ出していたと思います。
それからは、父親が私へしてくれていた事が、スムーズに思い浮かぶようになりました。父親に関しては、兄弟3人の学費等、今の自分では考えられないくらいの支えをしてもらっていました。
内観を行い、本当に今までの自分が恥ずかしくなるくらい感謝の念が無かった事、相手の気持ちに立って物事をみようとしなかった事、自分の行動の一つ一つが相手にどのような影響を与えるのかも考えることなく、好き勝手にしてきた事を発見する事ができ、また、28年間という間、どれだけの人、物、周囲の環境によって生かされてきたのかを、初めて考えさせられました。
今日で内観研修も終わります。先生がおっしゃって下さいましたように、私の内にあるマイナスの事はすべて捨てていきます。これからは、マイナスの面をつくらぬよう心の持っていきようをプラスへプラスへと突き進み、周囲に対しての感謝の念を忘れることの無い様生きていこうと思います。
最後に内観をして下さいました先生方、食事、お風呂の用意をして下さった方々、本当にありがとうございました。
この方は、父親が厳格な方で、子供の頃テレビゲーム禁止でした。父に友達から借りたゲーム機を壊された恨みをズーッと引きずっていました。年の離れた弟は、テレビゲームOKで、ゲーム機も父に買ってもらっていたのです。
しかし、経済的に独立するまでの養育費を計算してもらったところ、何と2千万円以上になり、ビックリされていました。
この方を面接していて気付いたのは、「問題だと思うから、問題になる。問題だと思わなければ、問題にならない。」という非常に単純ですが、重要な事でした。
自分が問題だと思うので、問題が大きくなり、それに振り回されて、自分で自分の首をしめているのです。
問題だと思わなければ、問題は発生しません。問題にならないのです。実に単純なことですが、人間は皆、このわなに自分で落ちてしまい、もがき苦しんでいることが多いのではないでしょうか。
それでもいいと受け入れれば、問題にならず、心は平安なのです。それを真言宗では、「大肯定」「大受容」として説いています。小林正観師は「悟りとは受け入れること」と言っています。自分の思い通りにしようと思わないと、悩み苦しみはなくなります。
現象は「ゼロ=中立」なのです。それに人が色をつけているだけなのです。幸も不幸も問題も、「そう思う心があるだけ」なのです。自分の思いをなくせば、「悩み」は消えていきます。
宇宙には、そもそも問題は無いのです。問題はないのに、自分が問題だと思い、問題を作り出しているのです。悩んだら、「で、何が問題?」「だから、何?」という問いを自分に繰り返してみてください。
ですから、肯定的に生きると悩みが少なく幸せな人生に、否定的に生きると悩みや問題の多い不幸な人生になるのです。事実であれ、フィクションであれ、あなたの物事に対する「受け止め方、思い」が、幸・不幸を決めているのです。あなたは、どちらを選びますか。合掌
他人の過ちは見やすく、おのれの過ちは見難い。他人の罪は風のように四方に吹き散らすが、おのれの罪は、さいころを隠すように隠したがる。
空には鳥や煙や嵐の跡なく、よこしまな教えにはさとりなく、すべてのものには永遠ということがない。そして、さとりの人には動揺がない。(法句経)
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