ある時、無着成恭先生に玉名で講演して頂いた事がありまして、次のような内容のお話しをされました。【人それぞれに花あり】という演題でした。 《梅・桃・桜さて綺麗な花は》 {桜の花と梅の花と桃の花があります。さてどれが一番奇麗だろうか?} どれが綺麗かといっても奇麗という比較ができません。 うちの嫁と隣のおばさんとどちらがきれいか??…。それははっきりわかりますが(笑い)、これには主観が入ります。どちらが奇麗かではなくて、好きか嫌いかというのはあります。 桜はパッと咲いてサッと散るいさぎよい所が好きだとか、香りが良いから梅だ。または家は女子ばかりだから桃の花だョ。などなど。このように何が綺麗とは言えない。そうかと言って好き嫌いでもいけません。 なぜ好き嫌いはダメなのか、それはそれぞれにその良さをしっかりと持って生きている、或は存在しているからです。そしてその一つ々々をしっかりと見すえて、それらが持つ良さをいかに生かすかと言う事が大切なのです。 《なすびはなすび、薔薇にはなりません》 例えばこの子はタンポポなのにカトレアが奇麗だからとか好きだからと言って、カトレアになれと一生懸命手を加えても、タンポポの良さを消すだけで、けっしてカトレアにはなりません。なすぴにはなすぴの花が咲くように、薔薇の花は咲かないのです。【人それぞれに花あり】なのです。 例えぱ国語・英語・数学・社会・理科などのそれぞれの教科にしても個々一つ々々それぞれが大切です。 しかし、勉学の全体を押し計る目やすとして平均点というものが重要視されますが、国語と数学の点数を足して割って何の意味があるでしょうか。 {平均点至上主義の観点でいうならば、ミスコンテストなどでバスト1メートル、ウエスト1メートル、ヒップ1メートルの女性が全てに平均していますので当然一番奇麗でスタイルがよいのでしょうね。} これは無着先生のお話ですが、そのようにスタイルのよいお方はこの本堂の中にはいませんよネ。しかしそれが一番美人かもしれません。アレ、とたんに手を上げる信者さん達がいるみたいですネ。(笑い) しかし南方の島に行くとそれが一番美人だそうです。モデルさんみたいにピシャッと腰がくぴれているほうが美人というのは西洋人の発想です。 《時代や文化と共に変わる価値観》 ところで土偶(どぐう)を見てください。いにしえの縄文時代にはドンとした腰の大きい、安産型が最高だったようです。 また高松塚古墳に出てくる美人像の壁画は今の美人像とは大きくかけ離れています。壁画の女性はその頃の最高の美人像でしょう。けれど今の感覚でいくと何か今ひとつといいますか……。 そのように価値観というのは時代や文化の有り方とともに変わり、民族と共に変わる訳です。 このように色々な例をお出しになりながら平均点だけで競っている現状(教育論のお話しです)を無着先生は嘆かわしくお話しされました。 そして締めくくりとして個性をいかに生かし伸ばし、それぞれの花をどのように咲かせるかを講演して頂いたのでした。 《キップとキッテの{ツ}の違い》 その中で、それぞれの持つ花(個性)の育て方について面白い話しがありました。 キッブの{ツ}とキッテの{ツ}は同じか違うかという問いでした。 ひらがなで書けば同じく小さい{ッ}で同じです。それでは声を出してみてください。どうですか?ちょっと口の形が違うでしよう。これをローマ字で書けぱはっきりわかります。 さて、無着先生が授業中にそのことを国語の成績の悪い子供が聞いて来たそうです。 キップの{ツ}とキッテの{ツ}の違いをその子は気が付いたんですネ。ところが教室のみんなは笑うんです。 しかし授業がローマ字の時間に入った時に無着先生が{君は先ほどいい質問をしたな}と、言って解りやすく説明をされたんです。 その後その子はローマ字がとても好きになり、そして中学に人ってその子はアルファベットに興味を示し、英語がドンドン好きになったといいます。 もう一つ話しがあります。{2たす2}と{2かける2}は同じか違うかと聞いてきた子がいました。その子も算数がメチャクチャ悪い子だったそうです。あまりにも考え過ぎるのでしよう。 学校では深いところまでは教えません。解答のスピードや試験などの事を考えての事でしょう。もっと単純に簡単に教えます。悪く言えぱ適当に打ち切るのです。 剪定(せんてい)みたいなものですネ。剪定といえば梅の木はギリギリに剪定しますが、芽を残して切ります。そうすればそこからまた花が咲くのです。ところが花芽を切るともうその枝には花は咲きません。 {剪定のそのギリギリの梅の花}とは無着先生の俳句です。 学校での個性の伸ばし方が子供達の将来にとって大変重要な問題になってくるのです。 《君は素晴らしい天才だヨ》 さて話しは戻りますが、{2たす2}の4と{2かける2}の4の意味がどう違うか。先に言った様に{うるさい。答えは同じだ}と言ってしまえぱその子の可能性を摘み取った事になります。まちがえた剪定の仕方ですネ。 ところがこの答えは明確に違います。2X2というのは面積でもあります。2+2は長さです。2時間X2キロ/時間、時速2キロで2時間歩いたら4キロと、内容ひとつで全然意味が違うのです。無限の違いがあります。 そこて無着先生は、{お前は素晴らしい。凄いことに気がついたナ。お前は天才ではないか、それは意味がちがうんだ。大きな間題なんだョ}と、言ったとたんにその子は目が爛々(らんらん)と輝いて数学の全国大会に出るほどになったそうです。 《いかに良さを見つけるか》 このように【人それぞれに花あり】という事を無着先生はずーっと教育の現場で実践してこられたのです。 今、世の中の子ども達がちょっと異常です。神戸の事件を発端として、中学生を中心とした少年犯罪の激増や自殺など新聞の社会面に掲載されない日はないほどで、目を覆うぱかりです。 今、卒業、入学と子供たちにとって節目の季節です。この節目は子供たちの心も大きく変化する時期でもあります。 子供達の可能性の芽を摘む事なく、心の花を咲かせる方向を探し、何を為すべきかを考え、そして具体的に行動して行くのが良いのではないでしょうか。【人それぞれに花あり】なのですから。
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タンポポが 《たんぽぽは知っている》
たんぽぽは知っている
だからたんぽぽは
*第6回全国 朴の大会が5月17日に坂村真民先生をお迎えして、先生の生誕地である熊本県荒尾市で開催されます。詳しくは、坂村真民詩集をご覧ください。
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